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コラム

おとなの世界

安武史朗

ちょっと古いが、石原裕次郎のヒット曲に「二人の世界」と云う曲がある。今回は二人の世界ではなく、「おとなの世界」について考えてみました。
今の日本は高齢化社会、成熟社会と言われながらも、何となく「おとな」が少なくなったような気がします。
おとなとは?
政界財界を始め教育の世界でも、また我々業界においても全てに建て前が先行している気がします。これにメディアが拍車をかけ一見正論の上塗りに振り回され、本質を見失い錯覚の世界に翻弄されている気がします。
人は言っていることが建て前で、やっていることが本音です。また企業は掲げている理念が建て前で、やっていることが本音です。また言っていることとやっていること、建て前と本音が同じことを誠実と言い、人はこの誠実に感動するのではないでしょうか。
また、おとなの言葉と云うのがあります、それは「必要悪」[処世術]「暗黙の了解」「あうんの呼吸」「片目をつぶる」「見て見ぬふりをする」「顔色をうかがう」「足元を見る」「腹芸」「裏取引」「袖の下」等々です。
「違うだろう?」「そこまで言わせるか?」、世の中には議論してはならないことがあります。たとえば国旗、国歌、愛国心、更には家族愛、男と女、倫理、道徳、忠義、礼節、等々は自然発生的観念論の世界であり議論以前のものだと思います。「それを俺に聞くな」、それを大の大人(おとなではない)がまじめ面で議論するからおかしくなる。「制限速度30km/hは何キロまでオーバーしていいか?」と議論するようなものでしょう。
民主主義は言論が全てであり、言論で相手を説き伏せる為には言葉のテクニックを駆使して正論や建て前を並べ立てれば反論の余地がなくなります。かくて言葉が独り歩きしだし本質がお座なりになり正義も言葉次第ということになります。
正論は常に正しいか? 一見正しいと思われる正論を押し通すことにより、今まで保たれていたバランスが崩れるならばその正論は間違いかもしれない。正論が常に正しいとは限りません。どちらが正しいかではなく、何か正しいかだと思います。全体を考えてそれを見極めるのが「おとな」ではないでしょうか。
また、おとなになれない大人が揚げ足取りで気取っている風潮も嘆かわしいものです。揚げ足を取るとは、本来正攻法ではかなわない相手の些細な失敗や言葉尻に付け込み、相手を責め立てることで、元々は相撲や柔道で、相手の揚げた足を取る足技のことです。
話の本質部分に注目するのではなく、短所・欠点にだけ目を付け得意気になる。このような揚げ足取りは一見正論で注目を浴びる為、現代目本の政治家やメデイアなどにもこのような風潮が見られるのは嘆かわしいことです。
今の日本は、外交問題や経済問題をはじめ国難の時、業界も試練の時です。誠実さと品格を備えた成熟国家、本質を見極める「おとなの世界」、それが誇れる美しい日本を目指すべきではないでしょうか。